東京 八王子 印鑑文字工房 楽善堂の店長が印鑑や文字の魅力を語る
印鑑の楽善堂 四代目店長 平澤 東のブログ



圓楽師匠の死を悼む

2009年11月02日 徒然(つれづれ)なるままに・・・

印鑑 八王子 楽善堂
──── 八王子で印鑑を作り続けて110年 ────

こんにちは。東京、八王子で印鑑を作っている職商人(しょくあきんど)の平澤 東(とう)です。

先週の29日、五代目、三遊亭圓楽師匠がお亡くなりになりました。落語家として一番尊敬していた師匠だけに、つらいものがありました。「笑点」のテレビ番組を放映している日本テレビは、今朝も圓楽師匠の映像を流していました。

「八王子寄席」という小さな寄席の会が、私が高校、大学生くらいの時にあり、店の裏にある「見番」(けんばん、芸者さんの手配をする事務所)の二階大座敷で、年に3回、生の落語を聞いていました。200人くらいの寄席ですからマイクなどは使いません。

ある時、圓楽師匠が来てくれて、落語の合間に質問時間があり、私は手を挙げて師匠にこんなことを訊きました。「星の王子様は、どんないきさつで名乗るようになったのですか?」
当時、昭和50年前後でしたが、それでも師匠、「古いことを言いますね。」とおっしゃった後、「電車に乗っていて、ふと隣の女子高生を見ると『星の王子様』を読んでいた。私のような不男が星の王子様を名乗ると面白いと思った」と答えてくれました。

その後、昭和55年頃、また師匠が「八王子寄席」にお見え下さり、その時の演目が「浜野矩随(のりゆき)」(下段にあらすじ)でした。この話を聞いて私は正式に印判師(はんこ職人)の道を目指そうと思うようになりました。ある意味、圓楽師匠のこの落語で人生の仕事を決めたと言ってよいものです。師匠の真に迫る演技に涙したのを覚えています。その後、20年以上経って、浅草で「余一の会」(よいちのかい、月末の31日の落語会)で再度師匠の「浜野矩随」を聞き、同じ感動を覚えました。私にとって、最高の落語です。「落語事典」(弘文出版)を紐解くとこの演目は、現在、圓楽師匠の独壇場となっている、と書かれていました。

「天国でゆっくりお休み下さい」と申し上げたいです。でもやはり、落語好きにせがまれて一席、話すのでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。

※「浜野矩随」(はまののりゆき) 講談からきた話。浜野矩随という金属彫刻師、父親は名人だったが、腕が下手で父の死後得意先からどんどん見放され、若狭屋だけが下手な作品を買ってくれた。その若狭屋にも、母親にも「死んでしまえ」と言われ、矩随は一心不乱になって観音様を彫る。これを若狭屋に持って行くと、まだ父の作品があったのかと三十両で買ってくれた。これが矩随の作品と聞いてびっくり。これをきっかけに矩随は開眼して名人と言われるようになった。矩随の作品を買い求める人の列が、新橋から品川までできたという。


▲朝日新聞、10月31日の紙面より。師匠の笑顔がすばらしい。


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